1冊10分で読める本の要約

2017.05.26

営業パーソン必読!キリンビール高知支店の奇跡的な業績回復の裏側

20170526 summary

著者田村 潤

ページ数192ページ

出版社講談社

定価842円(税込)

出版日2016年04月20日

Book Review

世の中で必要とされる商品だとしても、市場が反応しない、競合他社にシェアを奪われるなどの状況に苦戦している企業は多いはずである。本書の著者、田村潤もキリンビール株式会社にて、そのような状況に悪戦苦闘した人物である。
1954年、キリンビールは国内シェア1位を獲得するが、1987年にアサヒビールが「スーパードライ」を発売したことにより、徐々にシェアを奪われる形となった。そのような状況下で、著者は全国でも苦戦していた高知支店へ異動となる。著者は試行錯誤しながらも、赴任から2年半後に高知支店の業績を回復させた。現実と向き合う中で、著者はシェア奪還の本質が「自社の風土との闘い」にあることに気付く。そして、そこから得た教訓は、様々な業界の営業マンが身につけるべき物事の捉え方であった。
業績が苦しいときほど、営業パーソンにはこなすべき指示が増えていく。そして上意下達の流れの中で、自分の頭で物事を考えることができなくなってしまう。そのような状況下に陥ってしまっているとき、本書で著者の伝える「自分で考えることの重要性」が、現状を打開するヒントになるのである。
ドラマチックに見えるキリンビール高知支店の逆転劇も、個々の営業マンによる愚直な営業活動の上に成り立っている。本書を読むことで、「商品は誰のためにあるのか」「なぜ働くのか」を見直すきっかけとなることだろう。

要約本文

1995年、高知の夜は漆黒だった

キリンビールの落日

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著者は1995年9月にキリンビール高知支店長の辞令を受けた。それまでは東京本社で本部担当営業企画の部長代理として、有名量販店チェーンとの商談や販売施策を担当していた。当時は有名量販店が海外からビールを輸入し格安で販売する、ビールの価格破壊が始まっていた。著者はブランド維持、顧客視点から考えても、無謀な安売り合戦に反対していた。しかしそれは所属する部署や上司の意見とは異なるものだった。結果、全国でも苦戦地域のひとつで、負け続けている高知支店に異動となった。社内では「左遷だ」といわれた。
1907年に設立されたキリンビールは、1954年に国内シェア1位を獲得する。しかし、1987年にアサヒビールが「スーパードライ」を発売したことで、キリンはシェアを奪われはじめ、商品開発から営業に至るまで見直しを迫られていた。キリンは1995年にシェアを50%以下に下げるが、売れる時代が長く続いたため、営業が売るための苦労を知らないことが課題となっていた。

負けの精神風土が染み付いている高知支店

高知に着任後、著者は支店内に「負けている組織の精神風土」が定着しているのを実感する。営業マンは、本社指示の施策を酒販店に伝えるだけで、あとは日報をつけるという作業を繰り返すだけ。前任の支店長は、本社が設定した目標をいかに達成するかだけを考えていた。地域の特性を活かし、有効な手段を打つことは考えられていない。営業マンは危機感を持たず、リーダーもそれを黙認しながら、成績が悪いのは本社が設定した高い目標や、能力の低いメンバーのせいにしていた。
しかし、著者もどのような指示を出せばいいのか悩んでいた。未経験の地方での営業で、どうすれば売り上げが上がるのか皆目わからない状態であった。しかしやってはいけないこともわかっていた。総花的な営業である。多くの施策を適当にこなしていては、勝てるはずはない。「戦力の逐次投入」は必ず失敗するのである。

1996年、負け続けの年

料飲店に絞り、単純明快に

著者は営業施策を絞り込み、独自の施策として、営業力の効きやすい「料飲店マーケット」に狙いを定めた。高知県民は外で飲む機会が多く、料飲店でビールを飲んで「キリンが美味しい」と感じれば、家庭でも飲むはずだと想定したからだ。そこで、料飲店との接点を増やすために、個々の営業マンの料飲店への訪問目標を高く設定し、チーム全体で力を合わせて乗り越えることを目指した。同時に「バカでもわかる単純明快」というスローガンを掲げた。誰でも理解できる、単純なことを愚直に地道に徹底して行う。著者が高知支店でメンバー全員に伝えた最初の指示であった。

冷たい逆風

しかし、1996年4月に逆風が吹いた。長年にわたるトップブランドの「ラガービール」の味が変更となり、売り上げが急落したのだ。急成長する「スーパードライ」に危機感をもった本社が「ラガー」の「古い」「苦い」といったイメージを払拭するために若者を意識し、飲みやすさのある味へと方向転換したのだ。飲みごたえのあるラガーを好んでいた高知県民の中には、新しいラガーの味に反発を覚える者が多く、「スーパードライ」にますますシェアを奪われてしまう結果となった。

「結果のコミュニケーション」で営業メンバーを本気にさせる

独自に営業施策を絞り込んだ高知支店は、目標の数字にまったく到達していなかった。しかしそれ以上に問題だったのは、料飲店への訪問目標が達成されなかったことである。著者は支店のメンバーに本気で怒った。「目標に到達していないのに、なぜ帰宅してしまうのか。お客様の信頼を取り戻すために『やる』と決めたことができないなら、会社にとって必要ない」支店メンバーはこのとき「この支店長は本気だ」と初めて気づいたという。
さらに著者は「結果のコミュニケーション」という手法を取り入れた。メンバーが自発的に目標を定めてリーダーとの間で約束し、その結果を検証するものである。この手法により、メンバーは自らの行動に「覚悟」が求められていることに気付く。メンバーは約束した目標を何としても達成するために、本気で営業活動をするようになっていく。
この手法を続けた結果、メンバーに営業の基礎体力がついていった。目標の訪問件数が多いほど、いかに効率的に回るかも考えなくてはいけない。メンバーは半信半疑でもサボらずに営業した。その結果、4ヶ月を経過すると料飲店との間に信頼関係ができ始め、少しずつ良い結果が出始めた。形式的に営業するのではなく、本気で営業活動することで本質が見えてきたのだ。営業マンはやりがいを感じ、主体性と創意工夫が生まれてきた。相手の立場になって何が喜ばれるか考えるようになっていったのである。

スーパードライに敗れて、敗因を知る

ビールは代表的な大衆嗜好品であり、一度波に乗ればメーカーの手を離れて売れていく。1996年、スーパードライが目立つようになり、キリンの全国的なシェアは下降していった。そして同年9月、高知県ではアサヒに首位を奪われてしまう。しかし、なぜキリンの売上げが落ちているのか支店全員で、聞きまわっているうちに、高知での敗因分析ができるようになった。
スーパードライのスッキリ辛口、男性的なイメージを高知の消費者は好む傾向にあり、ビールの購入習慣が酒販店の配達する瓶ビールから、量販店で買う缶ビールに移行し、ラガーからドライにブランドスイッチしやすくなっていた。また料飲店でもアサヒやスーパードライが話題なのでつい注文する、といったものであった。

1997年、健康になろう

エリアコミュニケーションで県民の気持ちを刺激する

1997年に入り、営業マンの活動量は飛躍的に増えたものの、市場はアサヒに傾く一方であった。必死の営業も売り上げにはつながらず、その挫折感からか病人まで出てしまった。
そのような状況を打破するため、同年の高知支店のコンセプトは「健康になろう」になった。危機感からの開き直りのような状態であったという。
そのときメンバーの一人が、「高知の人に向けたメッセージを出したい」と発言した。そこで、地元のラジオや地方紙を使ったエリアコミュニケーションを取ることになった。これは、メディアを使って「メジャー感」や「売れている感」を出すことで、消費者にキリンを飲むことに自信を持ってもらうことを狙っていた。
高知県民へのダイレクトなメッセージを考えていたとき、著者は高知県民が何事にも「いちばん」が好きであることを知る。さらに高知は人口一人あたりのラガー瓶消費量が全国1位であった。もともと飲酒量の多い県ではあったが、このデータを使わない手はない。本社に掛け合って何とか確保した広告費をつぎ込み、「高知が、いちばん。」のキャッチコピーを掲げて地元新聞に15段広告を出した。
すると、そのキャッチコピーが高知県民の気持ちを刺激し、「もう一度キリンを飲んでみよう」という気持ちを喚起することに成功する。さらに、これまでの地道な営業活動との相乗効果が生まれた。営業マンが見知らぬお客様からキャッチコピーについて訊かれるなど、それまで一方通行だった人たちともコミュニケーションを取れるようになったのだ。

ラガー復活への渇望からの理念とビジョン

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高知での営業が軌道に乗る中、全国市場ではスーパードライの勢いが増し、キリンのシェアは落ち込み続けていた。その原因は看板商品であるキリンラガーの味の変更である。キリンラガーを愛飲していた人から、以前のラガーを渇望する声が届いていた。
著者は何度も本社に掛け合い、元の味へと戻すように進言した。しかし、「味を戻したらキリンがぶれていると思われる」というのが会社の結論であった。どんな理由があろうと会社の重要な決定に異議を唱えるのはサラリーマンとしてリスクのある行為である。著者は、キリンは自分がリスクを負ってまで立て直すべき価値のある会社なのかを考え続けた。
結果として、キリンは残すべき会社であり、愛されてきたキリンビールを高知県民に飲んで喜んでほしい、という「理念」が著者に生まれた。そして理念を実現するために、「どこにでもキリンビールがある」「キリンのメッセージを伝える」というビジョンが生まれ、これまでの数値目標に代わる高知支店の目標となっていった。

1998年、V字回復が始まった

高知の声がラガーの味を変えた

1997年11月、本社社長が全国視察の一環で高知支店に巡回にきた。現場との意見交換の場で、ある女性メンバーが「ラガーの味を元に戻してください」と社長に直談判を始めた。社長の答えは「会社の方針をぶれさせることはできない」と変わらず、女性メンバーは「社長は、お客様に対して卑怯です」とまで詰め寄った。
結局、社長への直談判は失敗に終わったが、予想外の出来事が起きた。なんと、社長が翌日の新聞社の取材に、「現場でこういう声があるから、ラガーの味を戻す」とコメントしたのだ。本来であればさまざまな会議でコンセンサスが必要なレベルの話だが、異例の形でラガーは1998年に再リニューアルすることになった。 
「どこにでもキリンビールがある」を目指した営業活動に加えて、「高知が、いちばん。」のキャンペーン時と同様に、今度は「高知の声がラガーの味を変えた」というメッセージを投入し、営業活動との連鎖で市場にうねりを起こす作戦を実行した。その結果、情報が一気に拡散し、対前年比が全国平均に比べて3〜4%も上がるという効果をあげ、ついに業績が回復し出したのだ。

高知の井戸を掘ると世界につながる

本社は高知支店のノウハウをマニュアル化できないかと考えたが、あまり学ぶべきテクニックはなかったという。高知では愚直に基本活動をしただけで、一撃必殺のテクニックは存在しないからだ。また料飲店を必死に回って結果が出たが、回ること自体が目的ではない。大切なのは「どこにでもキリンビールがある」「キリンのメッセージを伝える」というビジョンを実現しようとすることである。そしてビジョンを達成できるかどうは自らの決意と覚悟、どれだけ創意工夫できるかにかかっているのである。
最下位クラスの高知支店がキリンビールを立ち直らせる先陣を切ったこと。全国全県でアサヒビールに負け続けているなか、勝ち続けたことは奇跡と言われた。高知支店は目の前の仕事を掘り下げた結果、世界に通用する考え方や実行力を身に付けた集団となっていたのである。

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著者紹介

  • 田村 潤

    1950年、東京都生まれ。元キリンビール株式会社代表取締役副社長。成城大学経済学部卒。95年に支店長として高知に赴任した後、四国4県の地区本部長、東海地区本部長を経て、2007年に代表取締役副社長兼営業本部長に就任。全国の営業の指揮を執り、09年、キリンビールのシェアの首位奪回を実現した。11年より100年プランニング代表。

  • flier

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